それでも原子力か 週のはじめに考える


 どうしても原子力か、という問いがかつて発せられていました。ある物理学者の問いです。今もなお、それでも原子力か、とやはり問わねばなりません。
 手元に一冊の本がある。
 武谷三男(たけたにみつお)編「原子力発電」(岩波新書)で、一九七六(昭和五十一)年第一刷発行。日本の商業用原子炉が本格稼働し始めたころで、経済的な軽水炉時代の幕開けといわれたものです。
 編者の武谷は福岡県出身、京大物理学科卒の一物理学者です。素粒子モデルで世界的に知られる坂田昌一らと研究し、それと同時にビキニ水爆死の灰事件や原子力について発言してきました。

物理学者武谷の警告

 本を開くと、被爆国日本の物理学者が研究に誇りをもちつつも、いかに悩んできたのかがわかります。武谷は広島で被爆者への聞き取りを重ねています。科学の現実を知ろうとする学者なのです。
 本は原子炉の仕組みに始まり、続けて、その無数の配管が高温高圧の蒸気に耐えられず肉厚が薄くなることや、腐食、疲労の危険性を指摘します。
 人間のミスも取り上げている。例えば試運転中の玄海原発1号機で放射能レベルが上がった。調べたら、炉内に鋼鉄製巻き尺の置き忘れがあり、それが蒸気発生器の細管を傷付けていた。だがそれはむしろ幸運な方で、もし炉心側に飛び込んでいたら大事故になっただろう、と述べている。
 人間の不注意を責めているのではありません。原発ではささいなミスがとんでもない惨事に結びつきかねないと言っているのです。
 原発の立地集中化についても当時から心配していました。日本では人口密度が高く適地がなかなか見つからない。とはいえ、日本ほどの集中例は少なく、地域住民にとってこれほどひどいことはない、とも述べています。

昔も今も変わらない

 さらに大物の学者が原子力推進計画に乗って、政府から多額の研究費を得ようとしたという、学者の弱みも明かしています。
 四十年近くも前の、今と何と似ていることでしょう。何だ変わっていないじゃないかというのが大方の実感ではないでしょうか。
 それらを列挙したうえで、武谷は「どうしても原子力か」という力を込めた問いを発しています。
 彼はノーベル賞物理学者朝永振一郎らとともに、公開・民主・自主の三原則を原発の条件としています。公開とは地元住民らによく分かる説明をすること。民主とは原発に懐疑的な学者を審査に参加させること。自主はアメリカ主導でなく日本の自主開発であることです。それらの不十分さは福島の事故前はもちろん、事故後の今ですらそう思わざるをえないことが残念ながら多いのです。
 加えて今は地震の知見が増えました。危険性は明らかです。
 本は二十刷をこえています。しずかに、しかしよく読み継がれてきたというところでしょうか。
 ではその長い年月の間、日本はどう変わってきたのか。世界を驚かせるほどの経済成長を遂げたけれど、中身はどうだったか。
 欧州では、持続可能性という新しい概念が提出されました。資源と消費の均衡、また環境という新しい価値に目を向けたのです。大きな工場は暮らしを豊かにしたけれど、排出する汚染物質は酸性雨となり、森を枯らし、川の魚を死なせたのです。
 放射能の恐怖もありました。東西冷戦で核搭載型ミサイルが配備され、チェルノブイリ原発のちりは現実に降ってきたのです。
 欧州人同様、私たち日本人ももちろん考えてきました。
 水俣病をはじめとする公害は国民的自省を求めました。しかし原子力について、私たちは過去あまりにも楽観的で(欧州もまた同様でしたが)警戒心を欠いてきました。放射能汚染はただの公害ではなくて大地を死なせ、人には長い健康不安を与えるのです。
 原子力の研究はもちろん必要です。医療やアイソトープ、核物質の扱い方は核廃棄物処理でも必要な知識です。その半面、核物質が大量に放出されれば、人類を永続的に脅かすのです。

核を制御できるのか

 だからこそ「どうしても原子力か」という問いの重さを考え直したいのです。物理学者らには原爆をつくってしまったという倫理的罪悪感があるでしょう。人類が果たして核をよく統御、制御できるのかという問いもあります。
 被爆国であり技術立国である日本は、その問いにしっかりと答えるべきです。大きく言えば人類の未来にかかわることなのです。新エネルギー開発や暮らしの見直しは、実は歴史を書き換えるような大事業なのです。そういう重大な岐路に私たちはいるのです。

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