「寝た子起こすな」 反対派封じ込め優先の中、失われた規制の意識
「なぜ寝た子を起こすんだ」。平成18年5月24日、内閣府原子力安全委員会の委員長室で開かれた意見交換の昼食会。当時の保安院長、広瀬研吉(63)は経済産業省原子力安全・保安院の幹部や安全委の委員らを前にそう言った。
安全委は同年3月、国際原子力機関(IAEA)の安全基準の見直しに合わせ、防災対策の重点地域拡大の検討を開始。原発から半径8~10キロ圏内の重点地域を30キロ圏内に拡大し、5キロ圏内は事故時に即時避難する区域とする-ことを柱としていた。冒頭の広瀬の言葉は、こうした見直しを強く牽(けん)制(せい)するものだった。
保安院側の反発は安全委側の検討開始直後から始まっていた。「『即時避難』という語句の使用は控えてほしい」(同年4月24日)、「社会的混乱を惹(じゃっ)起(き)し、原子力安全に対する国民不安を増大する恐れがある。検討を凍結してほしい」(同月26日)…。立て続けに保安院側が安全委側に送った文書には、規制組織のものとは思えない言葉が並んでいた。
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重点地域の拡大は、周辺住民にとっては安全につながる対策だ。国民の安全を守るはずの保安院がなぜ、見直しに反対したのか。
保安院幹部は、広瀬の言葉に「その答えが隠されている」とし、「『寝た子』には2つの意味があったのだろう」と推察した。
当時、保安院は11年の茨城県東海村で起きたJCO臨界事故を受け、自治体の防災体制を整備したばかりで、「ようやく整備を終えたのに、話を蒸し返すな」という意味が一つ。もう一つが、「原子力に反対する勢力」のことだという。
原子力の歴史を振り返れば、事故やトラブルのたびに反原発運動が起きた。それでも、地元の理解を得て原子力政策を進めようと、国と電力事業者は一体となって「原発は安全」と訴えてきた。後から安全対策を講じることは、「やはり安全ではなかった」との批判につながりかねない。
こうした現状について、「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)の委員長、北沢宏一(69)は、報告書の中で鋭く考察している。「絶対に安全なものに、さらに安全性を高めるということは論理的にあり得ないため、『安全性向上』という対策が取れなくなっていった」
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安全対策を強化しようとすればするほど、高まる反対派の声。保安院はいつしか、反対意見なら何でも押さえ込もうとする体質を染みつけていった。
それは昨年発覚した、原発をめぐるシンポジウムの「やらせ問題」でも如実に表れた。保安院は17~19年にかけて、4原発のシンポジウムや住民説明会で、電力社員らに住民として出席するよう促し、賛成意見を述べるように求めていた。
18年6月の四国電力伊方原発のケースでは「シンポジウムのキーは『賛成派がうまく発言すること』『反対派の怒号をどう抑えるか』である」という、保安院担当者の発言とされるメモの存在も発覚した。
こうした体質は安全規制の一翼を担う安全委に対しても発揮され、防災対策地域の拡大は結局、保安院が押し切る形で見送られた。
京大原子炉実験所教授の宇根崎博信(49)は「安全性の向上に後ろ向きな保安院の姿勢は規制組織として失格だった。いかなる反対があっても必要な安全対策はやる、という強い意識改革が必要だ」と指摘する。保安院と安全委などを統合し、新たに発足するはずの原子力規制庁。看板は替わっても、「寝た子」をそのまま引き継ぐことに変わりはない。いかに“遺伝”を防ぐかが重要になってくる。
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